2009年3月9日

にょけ強化合宿1 〈当惑との遭遇〉

こんにちわ〜!

ようやく終わった‘にょけ強化合宿’の心地好い疲労感から、ややもすれば延び切った麺のような状態のじっぺいです♪

お変わりないですか〜♪


今、この瞬間にはゆったりと過ごせておりますが、本当に昨夜までは厳しかった!

途中、体力・気力の限界を幾度か感じ、へばりつつも何とか乗り切った後には、やはり復習を兼ねて、ウェブログ(ウェブに記録)が必要そうで、これから複数回に分けながら、合宿の内容として振り返りたいと思います。


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そもそもの強化合宿の始まりは、普段から頻繁に行われている私とちいさんのコミュニケーションの間で、ふと意識に上がった「何かがおかしい…」という漠然とした、しかし根深いレベルで問題がありそうな【当惑】の感触こそが、最大のきっかけでした。


最初は、ちょっとしたコミュニケーションの齟齬くらいに思ったのですが、段々と、

「この数年で起きた様々なことを経て、想像以上に大きな帰路に立たされており、きちんとした戦略ロードマッピング(ストラテジー)と諸々の対応(タクティクス)の見直しに迫られている」

ということに気づいて、「これは部分最適では解決しようのない、全体最適の必要があるみたいだぞ…!?」と了解し、インターネットを封鎖しての‘にょけ強化合宿’と銘打った内部探検にちいさんと出発したのが数日前…

その時は、まさかその漠然とした【当惑】が元に、次なる‘にょけ3ヶ年計画(2009〜2011)’の策定となるような大変な労力を強いられるとは…いや、ある程度は予想していたのですが、想像以上にハードでした…!!涙



もしかしたらこれは、どんなプロジェクト(仕事・活動・計画)にも当てはまることかもしれませんが、プロジェクトの途上で、中間目標を達成したり、新たな問題提起が発生するサイクルというのが、

『1年目に新たな環境や課題に直面し、2年目でその環境や課題に馴れ、3年目で新たな課題や環境の再設定に迫られ、それが次の3年1サイクルの1年目となる』

ということを、サイキック・カウンセラーの原田真由美さんが著書で述べておられたように思い出されます。うろ覚えですが…(じっぺい、意外に乱読多読症)



そこでまず最初に役立ったのは、川喜田二郎さんのKJ法(発想法)において、

問題提起の最も初動となる、【当惑】の周りを探検することで、《何が問題なのか》を発見する』

というプロセスでした。

そう、【当惑】です。


「何かがおかしいぞ…?」
「何だか上手くいかなそうな気がする…」
「このままで、本当にイイのかな???」


それらの【当惑】の周りを丹念に内部探検し、様々な思い当たる要素を捜し当てることが、適切な新たしい問題提起を発見し、それを解決へと導く為の最初のステップだったのです。


実は、この《何が問題なのかを発見する》というプロセスを抜きにして、目前にある意識が偏り易い問題(売り上げ、業務内容など)に目を向けても、結局は別の問題との繋がりが見えた時点から、また新たな問題提起をし直して、そこからさらに大きな問題に気づいて、段々と話しが大きくなり過ぎて、結局は最後に話がお流れになってしまう…


これこそが、会議や議論が成果を出せずに時間の浪費となる場合の原因で、どんなに遠回りに見えても、『【当惑】の周辺にある、思い付く限り・考えられる限りの“全て”の要素を洗い出す』というのが、問題解決における最短経路なのです。


ものすご〜く簡単に言えば、

『問いが正しくなければ、答えが出ない』

ということなのです。

例えば、「人はなぜ生きるのか?」という問いは、「その問いは正しいか?」と自問するだけで、別の問いへと変化します。

他にも「人類とは何か」「日本人とは何か」といった問いなども、「その問いは正しいか?」と問うことで、問い自体が自分が考えていることと関係がないことに気づくことなどもあります。



ですから、問いを立てる前に、まずより正しい問いを見つける為に、自分たちが普段気づいていなかったり、意識に上がりにくいことまでを全て眼前に出揃えると、流石に何を問題提起する必要があるかは、誰の目にも明らかになります。


そう、まずは曖昧模糊とした、じっぺいとにゅっこの脳内へと内部探検に出発したのが、合宿の初日でした。

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