2008年12月10日

真摯さ。



 こんばんは、ちぃろです^^
 
 今日は小春日和で、暖かく過ごし易い一日でした。

 
 
 前回の記事で書いた課題ですが、ようやく形が見えていました。

 目的は、"問題を認知してもらうこと”なので、当たり障りなくしては印象に残らず通り過ぎてしまうでしょうし、センセーショナル過ぎては拒否されてしまいます。

 "ふと足を止めて、詳細文を読んでもらう”ところに落とし込むことが出来れば、今回の課題は一先ず成功と言えると思います。



 昨日まで、私自身、問題に感情移入しすぎて、センセーショナルになりがちでしたが、今日は距離を開けて見つめ直しました。先生も、「デザインは、何度も原点に帰っては、詰めていくことの繰り返しだよ」と教えてくれました。


 一日置いて、もう一度、自分の目的は何か、何を伝えたいのか、考えるともう一段いい形が生まれていきます。

 一度完成したものを壊してより良いものを作る。それが出来たとき、また一つ自分の限界を乗り越えられたと思えます。創作の醍醐味です。


 
 今日は、方向性を探るために、参考になる作品を探していました。

 そこで見つけたのが、一番上に掲載している、ベネトンの広告。

 ベネトンの広告には、一切ベネトンの商品は掲載されていません。その代わりに、社会問題について、真っ向から言及しています。

 時々、そのストレートさに、思わず目を背けたくなるような広告もあります。

 しかし、そこに掲載されている事は、普段は私たちやメディアが知らないふりをして隠しているだけで、世界のどこかに厳然とある事実です。



 ただ、センセーショナルにして人が不快がったり、驚いたりするのを楽しむアーティスティックな作品とは全く違います。



 そのドキッとさせる絵には、深い根があり、必ず意味がある。ベネトンの広告は、洗練されていて美しいのですが、その芸術性の高さは、数々の問題に入っていくためのものなのです。


 ちなみに、写真の詳細は、記事を書いている方がいらっしゃったので引用させて頂きます。

 上に掲載している写真、”Human Rights - Women”は、


 国連の世界人権宣言から50年周年を記念して、国連と共同で行われたキャンペーン。人権宣言の文言が若者たちの顔に囲まれて紹介されている。様々な人種の若者やこどもたちを登場させるスタイルは、ベネトンの広告の基本路線であり、数多くのポスターでこのモチーフがくり返しもちいられている。人種差別に反対するとともに、西洋的美意識の一元化に対するアンチテーゼの意味も込められている。



 下の写真、”Tongues”は、

 反人種差別と美意識の多様性のメッセージが込められたポスターのひとつ。「肌の色は様々でも舌の色はみんな同じ」と呼びかけている。ただし、イスラム諸国では、舌を見せる行為には性的なニュアンスをともなうため、裸のこどもたちが舌を出しているこの写真はチャイルドポルノと誤解されかねないという判断から、メディアに掲載されることはなかった。



 とのこと。他にも詳細と共に紹介していてとてもいい記事なので、興味のある方は是非ご覧になってみてください。但し、先にも書いたように、衝撃的な画像もあるのでご注意を。でも見た後は考えさせてくれます(…考えて欲しいです)。

 ベネトンの広告
 オリビエロ・トスカーニによるベネトンの広告

 

 この課題をしていて感じることは、日本にいると、本当に人の痛みに鈍くなってしまうんだと言うことでした。

 何度か、周りの人に話題を振ってみましたが、全く興味の湧かない様子…。興味の先は非常に網膜的なものだったり、日々の不安だったり、不満だったり…。

 何となく予想はしていたものの、予想通りだと少し残念です。

 


 ただ、私は、広告でも、名刺でも、ウェブでも、少なからず何かを創る仕事をしているなら、真摯さが大切だと感じています。

 自分のやっていることが何かの役にたっているのか、いないのか、逆に悪いことになっているのか、しっかり考えていきたいと思うのです。

 そして、与えられる情報は決して鵜呑みにせずに、考えて、自分から真実を探っていくことで、創作はより深まっていくと思います。いいアイデアも生まれてきます。


 私は何も知らないし、無知です。だから貪欲に学びます。

 私は何も出来ていないし、無力です。だから必死で挑戦します。


 
 …そう思えるのも、沢山、素敵な人に出会ってこれたから…。皆さん、それぞれ、真剣に考えて、本気で努力しています。私は、そういった人たちを心から応援したいと思うのです。

 ベネトンもまた、心から応援したいと思える出会いでした。
 
 
 ベネトンの広告はこちら
 
 
 

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