2008年5月23日

赤ちゃん時間と、人々の飢え ー随筆ー



五年ぶりに、赤ちゃんを抱いた。

腕の中で、安心して眠れるように、ゆるやかに、静かに動く。

段々と、瞼が閉じていく。体重が、腕にかかってくる。

明るいところへいくと、しかめっ面になって、眩しいみたいで、ちょっと部屋の陰へ移動してみる。

そういえば、この時間の流れが懐かしい。自分に赤ちゃんが生まれたとき、毎日悪戦苦闘したけれど、一日の中に、この穏やかな時間があった。

静かな昼下がり、家から外を眺めながら、赤ちゃんの重みと、呼吸を感じる時間。

この時、やっと感じられた、自分の心の状態。家族、友人とのミスコミュニケーション、受験、上京による環境の激変で、疲弊しきっていた心。その心が、赤ちゃんといる時間の中で少しずつ癒されていった。

はじめて、世の中の流れから外れて、不安だった気持ちが、最後には安堵の気持ちに変わっていた。

このゆるやかな時間にこそ、人が人として、心を育む時間がある。生きる喜びを感じることが出来る。そう気がつかされた。

現代を生きるために必要な速度は、人の心を無視しやすい。加えて、世の中を締めている価値観も、多様化を許してくれない。

その中で、人々が心を病まない方が難しい。

私たちには、誰かが作った流れから、飛び出す意欲が必要だ。誰かが価値があると掲げるものを、疑う視点が必要だ。

自分の愛する人、時間、ものを大切にしていいのだ。犠牲にする必要は全くないのだ。

愛する心を犠牲にする世界に、私たちの幸福があるはずがないのだから。

大量生産消費の中で、ものに飢える必要はない。

交通、通信の発展の中で、時間に追われる必要もない。

今、必要なのは、幸せを感じる時間だ。幸せとは何か、考える時間だ。

そして、私たちがそれを考えない限り、大量生産消費に上限はない。時間の短縮に上限はない。

しかし、人間にも、地球にも、限界はある。すでにどちらも悲鳴を上げている。

もし、今自分が幸せでないと感じるとき、もう一度、自分が心から満たされる状態について考えてみてはどうだろうか。

一人静かな場所でもいい、家族や友人との談笑の中でもいい。自分自身の幸福について、じっくりと考えていくと、自ずと、明るい未来も、歩む道も見えてくるのではないだろうか。

久しぶりに、赤ちゃんを抱きながら、そういうことを考えた。この小さくて、かよわい生き物は、大人と呼ばれるようになった私に、まだまだ沢山のことを教えてくれる。

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